【治療を決めるもの】

その人自身しか持っていないもの

誰に何を言われてもぶれないもの

判断の基準になるもの

家族とか友達とか育ってきた環境とか

今までの人生の中でゆっくり着実に

積み上げられてきたもの

今回はそんな価値観のお話

治療をする上で

大事になるものの一つが価値観

もちろん完治できるかとか

医師が勧めるものだからとか

この薬剤が効くからとか

たくさんの要素で治療内容って決まる

でも本人の価値観抜きには治療内容は決まらない

家族が抗がん剤で辛い経験をしてるのを見たから

抗がん剤は絶対にやりたくない

とか

手術は受けるけど

この臓器は残しておきたい

とか

放射線の副作用が怖いから受けたくない

とか

この病気にこの治療が一般的というプロトコールがあっても

それがそのまま受け入れられるものかどうかは

一人一人違う

医療者はそれを無視することはできないし

患者本人も自分の価値観を無視することはできない

だから医師は治療方法をいくつか提示する

それぞれメリットとデメリットを伝えて

医師が考える最善の策も伝えて

でもそれにしなさいとは決して言わない

治療内容は患者が決めるものだから

「先生の言う通りにする」という判断になっても

それは自分の価値観からずれていないから

そう決めたってこと

私は足にがんが見つかったとき

手術も抗がん剤も必要だってことは理解した

正直抗がん剤は最初嫌だって思ってた

できるならやりたくない

でも命のためにそれが必要ならやるしかないって思った

葛藤はいくつもあるけど

自分でやるって決めた

数年後足に入れた人工骨が2回も壊れて

再手術が必要だってなったとき

2通りの選択肢が与えられた

膝関節だけじゃなく、股関節も人工関節にする方法と

大腿部を切断する方法

私には当時切断は受け入れられなかった

がんのせいで切断が最善だと言われれば受けたと思うけど

今の人工骨の限界という理由では

切断は私の価値観にはなかった

今振り返ってみて

切断はありだったのかって考えてみた

切断したら義足にはなるけど

もしかしたら走れたかもしれない

もしかしたら富士山に登れるかもしれない

最悪義足が壊れても、治療ではなくて修理(か交換?)

今できないことができたかもしれないという可能性

それはちょっと心が揺れる

でも実際は人工関節を選んだ

自分の足を残せるうちは残したい

そう思ったから

その選択に後悔はしていない

自分で悩んで選んだ治療だから

何を言いたいかっていうと

価値観は人にはわからないっていうこと

提示された治療を嫌だって思ったとき

絶対に嫌なのか

命のためならやろうって思えるのか

どこまで折り合いをつけられるのか

自分と相談して

医師と相談して

自分で決めることが大事なんだと思うの

あなたが決めたことは

誰も否定はしないから