抗がん剤を4クール投与したところで、手術の話が浮上しました。
入院して3か月、もうすぐ梅雨が明ける7月後半でした。
それまでは抗がん剤を投与することで
腫瘍の縮小を期待して、同時に効く薬っていうのも探していたんですが、
抗がん剤はいろんな副作用があります。
免疫は落ちるし、腎機能も低下する。
抗がん剤は正直効くものも効かないものも使っているから、
効かなければ治療していないのと同じ。
幸い最初に使った薬が効いて、肺転移巣も小さくなっている。
抗がん剤の効果と副作用、病気の進行具合を考慮して
そろそろ手術に踏み切ろうということになりました。
抗がん剤の副作用である骨髄抑制によって白血球が低下しているので、
手術に耐えられるくらいまで回復を待ってからになります。
手術日は、8月13日に決まりました。
手術は怖かった。
でも手術が、というよりも、
手術によって自分がどうなるのかがわからないことが怖かったです。
骨肉腫は、以前は診断された時点で
足の切断を余儀なくされた病気でした。
それでも再発や転移によって、命を落とす方が多かったのが事実。
少し前までは5年生存率30%と言われていました。
最近は抗がん剤と手術方法の確立によって
5年生存率70%に上がっているそうですが、そんなのは関係ないです。
医療者から見たらたくさんの患者の70%が助かっているという事実でも
患者本人からしたら生き残るのも命がなくなるのもどちらかでしかないからです。
残りの30%に入ったら、100%命がなくなるということ。
自分が70%に入る自信なんて、どうやって持てばいいのかわかりませんでした。
それでも手術は絶対の治療法。
受けるか受けないかではなくて、生きるには受ける選択肢しかないんです。
医師には「足はいきなり切断はしない。温存する。
ただしその後再発したら切断する」と説明を受けました。
まずは命を残すために手術をする。
でもその後、歩けるようになるのか、それも不安でした。
医師に聞くと「歩けるようになるよ」っていう答え。
日常生活で「歩ける」のか。
看護師として働けるくらい「歩ける」のか。
富士山に登れるくらい「歩ける」のか。
その先は聞けませんでした。
実は、肺転移しているという診断を受けてから、
私は助からないんだろうと思っていました。
医師から余命宣告を受けたわけではないけれど、
インターネットで病気について調べ
いろんな方の闘病記の行く末を読んで
自分の進むだろう道を覚悟していたんです。
転移していなければそこまで思い込むことはなかったのかもしれませんが、
そう思い込ませるくらい、
転移というがんの進行は恐ろしかったんです。
医師の説明を聞いて
「頑張って手術に耐えよう、歩けるようになろう」と思うと同時に
「頑張ってもまた転移するんじゃないか」
「あと何年、何ヶ月生きられるんだろう」
そんな考えが頭の中でぐるぐる回っていました。
先が見えなくなっていた、
いや、むしろ真っ暗な先が見えてしまっていた時期でした。