「明日やろう」って思うのは
明日が普通に来ると思ってるからですよね
でも絶対に「明日」が来る保証なんて
どこにあるんでしょうか?
私も変わらない日常が
ずっと続くと思っていました
看護師の国家試験を終えて
学校の友達と日帰り温泉に行ったりしてた時期のこと
その数か月前から違和感はあったんです
走ると痛いなぁとか
力入ると痛いなぁって
左足のなんとなくの異常を感じていました
でも国家試験が優先されて
なかなか病院に行かない日々でした
試験が終わってやっと受診したのが3月
足のレントゲンやMRIを撮って
街のクリニックではわからないと言われて
都立病院を紹介され
局所麻酔で針生検をして
それでもわからないと言われ
専門病院を自分で探して受診したのが
4月の半ばごろ
レントゲンを診た先生が一言
「これ悪そうだね」
鳥肌が立った私の頭の中に
一つの病名が浮かびました
MRIを撮ったあたりから
自分でも疑っていた病気
悪性の肉腫の診断名の可能性を
先生が口にしました
「もう一度生検をして
確定診断をつけてすぐに治療に入ったほうがいい」
その意味を理解するのに
時間はかかりませんでした
「すぐに治療に入ったほうがいい」
=「でないと手遅れになる」
私は生きられるかどうかの淵に
いつのまにか立たされていたのです
「明日やろう」
「いつか会えるよ」
「時間できたらやる」
それは未来があると確信してる人たちの言葉なんだとわかったとき
私にはその言葉が言えなくなりました
私が罹患した肉腫は
10万人に一人がかかると言われているもので
もちろん多くの人にとっては
その病気になる可能性は低いでしょう
でも事故に遭ってしまったり
他の病気にかかる可能性は
みんなある程度持っているものだと思うのです
年をとるにつれて
健康面の心配は自然と増えるものだけど
若いときだって
本当は「明日」が来る保証なんて
誰も持っていないんだと思うのです
脅したいわけではなくて
みんなどこかにリスクがあることを知ってもらった上で
今日できることは今日やるっていう
決定をしてもいいのかなって思ったのです
今日できることなんですか?