【杖を持つということ】

前回、杖を使って歩くことに劣等感を持つ必要はないし、

ジロジロ見たい人は見ればいい、と

強気なことを書きましたが、

はじめからそう思っていたわけではありません。

当時の心の葛藤もお伝えしておこうと思います。

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術後、杖を使って歩く練習をしましたが、

足の機能的には杖がなくても歩くことは可能でした。

 

ただ、これからの人生を長い目で見たときには

負担をかけすぎないように、普段から杖を使っていたほうがいい

と言われていました。

 

その通りだと思いました。

それでも当時22歳頃の女性としては、

杖を持つことに抵抗があったのは、間違いありません。

 

歩き方を見て、足が悪いのだと気づく人はもちろんいますが、

杖がなければ、大抵の人は普通の足だと思ってくれます。

 

「普通」の大学生。

そう思われるようにしたかったのです。

 

なので、術後5年くらいは、杖なしで生活をしていました。

看護師として、無事に病院への就職もし、

一見「普通」の看護師として働いていました。

 

でも朝から夕方まで、周りの人と同じように立ち仕事をしていれば、

だんだんと足が重たくなっていきます。

仕事が終わる頃には、痛くて歩けないことも何度かありました。

 

それを知った上司が、

「杖あるなら使っていいのよ」と言ってくれました。

今思えば、理解ある職場、理解ある上司ですが、

当時、杖を持つことにまだ抵抗があった私には

「そんな簡単なことじゃない」と心の内で思っていました。

 

杖を持って生活をする。

ただの細い一本の棒が、「普通」と「障害」を分ける境界線に思えて、

その一線を越えることにものすごい抵抗があったんです。

 

それでも足の痛みは毎日やってきます。

朝、玄関先で杖を持っていこうか、何日も迷いました。

 

やっと杖を持って職場に行っても、

それを使っている自分を職場の人に見られるのが嫌で、

結局ロッカーにしまったまま、仕事をする日も続きました。

 

上司の「杖持てばいいのに」という軽い言葉が

あのときの私には許せませんでした。

 

他人事だからそんな風に言える。

私のこの辛い葛藤なんかわからないくせに。

そんな風に思って、杖を持つ度に泣いていました。

 

ボディイメージの変化。

言葉にしたら簡単ですが、自分で受け入れられていないものを

人が受け入れることなんてできるはずがないと思っていました。

 

杖を持っただけで、

「足が悪い人」と一瞬で思われ、

ジロジロ見られて詮索されて、気を遣われる。

 

二度と「普通」には見られなくなることが

私には怖かったんです。

 

最終的には、杖への抵抗感と足の痛みとの天秤に揺れつつも、

泣きながら杖を持って職場に行って、

周りの人がどう思ってるのか気にしながら、

何でもないかのように杖を使って仕事をしました。

 

そして少しずつ、自分の中で杖を使うことに納得していった

というのが、杖生活の始まりでした。

 

今は「ジロジロ見たい人は見ればいい」と

強気で杖を使っていますが(笑)、

あの葛藤の日々があっての、今の私です。

 

人によって価値観は違うので、

あっさり受け入れることができる人もいれば

私のように時間がかかる人もいると思います。

 

何が正しいとかではなくて、

自分で納得できるように心の準備をする時間や

見た目が変わる自分を認めてくれる周りの人たちの

温かさが大事だったなと、今は思います。

だから、変らずに接してくれた人たちに、今、ありがとう。