この半年間、今までの病院勤務とは違うことをしていました。
病院を一度離れた理由は、
自分の足の負担を減らすため。
看護師として病院以外での経験もするため。
カウンセラーとしての方向性を考えるため。
退院した人がどのような生活を送っているのかもっと知るため。
そしてわかったことは、
医療者としての経験をもっともっと積みたい!ってことでした。
病院から飛び出してみたら、
社会の中で助けを求めてる誰かを助けられるようになるには、
もっと幅広く深い経験が必要なのだと、実感しました。
そして今、自分がずっと治療を受けてきた病院に勤務することにしました。
この病院には大きな恩があります。
仕事でもいい、ボランティアでもいい、
病院やそのスタッフ、治療されている方たちに恩返しをしたいと
ずっとそう思ってきました。
でもたくさんの出会いとともに
たくさんの別れも経験した場所であることを思うと、
なかなか勇気を出すことができませんでした。
そんな中、改めて医療者としての知識と技術と自信を得たいと思った中で
この病院に行こうと自然に思うことができました。
きっとこのときを待っていたのだと思います。
そして7年前の約束が目の前に現れました。
7年前、入院中に出会った女の子、Kちゃん。
私と同じ病気の中学生でした。
一度は足を温存する手術を受けながらも
すぐに再発して切断を余儀なくされました。
それでも「車椅子バスケをやる!」
「看護師になって整形の病棟で働く!」と
いつもきらきらした目で話してくれました。
「じゃあ一緒に看護師として、この病院で働こうね」
本当にそうしたいと願って出た言葉でした。
当時彼女は中学3年生だったので、
これから治療とリハビリを1年、高校3年間と看護学校3年間。
きっと7年後には素敵な看護師になってくれる、
そのときに一緒に働けるように、私も看護師を続けようと思っていました。
でもKちゃんはそれから2年後に
静かに亡くなりました。
突然、宙ぶらりんになった約束。
それでも看護師をしている私をきっと見てくれていると信じて
ずっと続けてきました。
そしてふっと、あの病院で働こうと思ったときに
約束から7年経っていることに気がつきました。
Kちゃんが生きていれば、看護師になっている頃。
きっと約束を果たすために、私はこの病院に決めたのだと思います。
この場所でKちゃんと一緒に再スタートを切ります。
自分が闘病していた頃、
ほしかったのは医師の説明や辛い闘病記ではなく、
経験者の言葉と少しでも明るい希望でした。
がんの治療はこんな風だった。
これは辛かったけど、こうすれば乗り切れた。
社会復帰してこんな風に生きている。
そんなちょっと先の明るい未来を知りたかったから、
私がそれを少しずつ書いていこうと思います。
きっとKちゃんが伝えたかったことも、私と同じだと思うのです。
今治療をされている方やそのご家族、心配してくれている友達、
少しでも情報がほしいと思っている人たちに
想いが届くことを祈って。